比較されて育った人間の特徴5つ!周りを気にしない自分になる方法

幼いころから兄弟(姉妹)間や友達と比較されながら育つと、無意識に自分と他人を比べるようになります。

「自分はあの人に比べたら顔も地味だしスタイルも悪くて落ち込む」

「姉は何でもできるのに、なぜ自分はこんなにも出来が悪いのだろうか…」

「うちは裕福ではないけど、あの人の家よりはマシだと思う」

自分自身ではなく、家族や友達、同僚などが、よく誰かと誰かを比較しているなどということもあると思います。

ちり

私自身も、中学生時代の学校の先生から、兄姉とよく比べられ、今でもその影響を引きずっているところがあります…

自分と人を比べてもネガティブな気持ちになるか良くない優越感を得るだけで、心から安心できるものではありません。

しかし、ついつい自分と他人を比較してしまうのはあなた自身やその本人のせいではなく、育ってきた環境に大きな影響を受けているためです。

本記事では、比較されて育った人間の特徴とそれによる心理的影響、解決法について紹介していきます。

・誰かと自分を比べては落ち込むクセを直したい

・周りの目や他人からの評価を気にせず生きていきたい

・「自分らしさ」というアイデンティティを確立したい

読んだ後には、誰かと比較しなくても「自分は自分で良いんだ」という安心感を手に入れていただけることでしょう。

目次

比較されて育った人間の特徴

比較されながら育った人は、本人はそのつもりがなくても言動に特徴があらわれています。

・他人の目を常に気にしている

・八方美人

・嫉妬深い

・自分に自信がなく自己評価が低い

・負けず嫌い

一つずつ解説していきますね。

他人の目を常に気にしている

保育園や幼稚園、その後の学校生活など、ほとんどの人が幼少期から集団生活を送っています。

幼少期の頃には、「みんなと同じようにできること」が求められ、小学校、中学校と進学していくにつれ、「かけっこで1番になること」や「良い成績を取ること」など、

常に誰かと同じようにできること誰かよりも秀でることが良いこととして、私たちは教えられてきました。

あまりにも当然のように行われる比較に、もしかしたら疑問すら持たずに過ごしてきた人も多くいるのではないでしょうか。

そして、常に誰かと比べることが能力を伸ばす方法として有効だとされる風潮が、今も続く日本の教育にあると感じます。

その結果、「自分は周りの人と比べて上手くできているだろうか?」と、周りからの評価を自分の評価として考えてしまうようになり、

常に他人の目や周りからの評価を気にする人間へと成長してしまいます。

自分のことを他人の評価で判断するようになると、だんだんと自分の意思や考えていることがわからなくなり、自分は何者なのか、何のために生まれてきたのかと、自分の人生に疑問を抱いたまま生き続けることになるでしょう。

八方美人

比較されて育つことで、常に「自分は他人と比べてどうか?」が判断基準となります。

その結果自分の思考がなくなり、周りの意見に流されたり相手に合わせることで安心感を得ようとするのです。

そして、他人から嫌われることを恐れるため、色んな人に「良い顔」をしようとします。

それは、他の人から見ればどんな人にも良い顔をする八方美人そのものです。

八方美人は良いことにも悪いことにも同調するため、特に人間関係でトラブルを招きやすくします。

嫉妬深い

誰かと比べられるということには、「他の人よりできない」「他の人よりできる」など、必ず勝ち負けや優劣が伴います。

本人がさほど気にしていなくても、周りの大人が「あの子に勝ったね!」や「なんで1番順位が低いの!」など、他の人を引き合いに居ように褒めたり叱ったりすることで、

「あの人には勝たなきゃ!」と、勝ち負けや優劣にこだわり始める原因となります。

そのため、兄弟が親から褒められていたり友達が先生から褒められていたりすることを一緒に喜ぶことができず、「なぜ兄(友達)ばかりが褒められるんだ」と嫉妬するようになるのです。

例えば、他人の幸せを喜べないまま成長し大人になったとします。

自分が独身で結婚願望がある場合、親しい友達の結婚や妊娠、出産などに「なぜわたしより先に幸せになるの?」と、モヤモヤした黒い感情ばかりが浮かび、友達の幸せまでも喜んであげられない自分に絶望することでしょう。

嫉妬は他人にも自分にも良い結果を生みません。

自分に自信がなく自己評価が低い

人と比較して持てる自信は、結局のところ「誰かと比較しないと持てない自信」のため、本当の意味で自信を持っていることにはなりません。

また当然ながら、他人と比較することは自信を欠くことにもつながります。

それが積み重なるといつどんなでも自分に自信が持てず、何か行動を起こす時にも「どうせ自分にはできない」「やっても無駄だ」と、始める前から諦めてしまうように・・・。

自分に自信がなかったり、自己評価の低い人は「どうせ」や「でも」など、言い訳から入る癖があります。

負けず嫌い

嫉妬する人とも似ていますが、誰かと比較することには勝ち負けが伴います。

負けることの悔しさを味わうと、「誰よりも1番になりたい」という思いが沸き上がります。

これがポジティブな方向へ働けば、スポーツで優秀な成績を収めたり、勝負事の世界で勝ち続けるなど良い結果を生み出すことも。

しかしネガティブな方向へ働くと、負けず嫌いが強すぎるがあまり、自分勝手な言動でチームの協調性や調和を乱したり、

働く業界や職種によっては、「問題の人」扱いにされる可能性もあります。

比較されて育ったエピソード【体験談】

親に比較されたり学校の先生に比較されたり、評価する人により受ける影響は変わってきます。

私は、親や中学校の先生から兄姉と比較されることが多かったため、その時の状況を元に今でも心理的に影響を受けていることについてお話します。

優秀な兄と比較する先生と人気の姉に劣等感を抱く中学生時代

私には兄と姉がいます。

兄は、スポーツも勉強もでき、母の勧めで習い始めたピアノは、兄妹の中でも1番上手でした。

兄とは4歳離れているため中学校生活は被らなかったものの、合唱祭などでピアノ伴奏を担当していた兄の妹というだけで、

音楽の先生は「妹だから弾けるだろ」と強引に話を進め、私自身ピアノは小学校六年生の時点で辞めていたものの結局中学校の三年間全てピアノ伴奏を担当しました。

また、音楽の先生以外にも兄を知っている先生方は「お兄ちゃん成績よかったけど妹はどうだ」など、冗談のような軽いニュアンスだったものの、当時の私はなぜかプレッシャーとして受け止めてしまうように。

恐らく音楽の先生もその他の先生も、それがまさか私のプレッシャーになっているなんて少しも考えていなかったと思います。

私も当時はそんなことで落ち込む自分が嫌で、両親にも相談などはしませんでした。

しかし、どこかで「兄の妹なんだから、期待に応えられるように頑張らなければいけない」と思っていたことが、当時を振り返った今ならよくわかります。

「〇〇しなければいけない」と自分の中で思い込むクセは、その時の影響が大きかったと言えます。

姉は美人で明るく、男女ともに友達が多いタイプ。

後輩からもよく慕われていて、校内でも「先輩~!」などと言われながら楽しそうに話していた姿を見かけました。

私と姉は二歳離れていて、私が中学校へ入学した時に姉は中学三年生でした。

姉の友人や後輩からは、「〇〇の妹が入学したんだって!」や、「先輩の妹らしいよ!」と色んな人がわざわざ教室まで見に来るようになり、その状況に驚きと不安の気持ちを抱いていたことをよく覚えています。

校内を歩いていれば、「あ、〇〇の妹」「〇〇先輩の妹だ」など、私を見る目は全て¨姉¨というフィルターを通したものに感じていました。

いつしかそれが、「姉のように明るく気さくでいなければ、姉の妹として成り立たない」という思い込みへ・・・。

同級生に友達はできましたが、¨妹¨という立場に心が縛り付けられ、その時既に「自分は何者か」がわからなくなっていたように思います。

「みんな、¨妹¨である自分に価値を感じているのであって、私自身そのものに興味はない」

誰かに言われたわけでもないのに頭の中でそう変換し、それ以外に考えることもできず。

「兄のように優秀でなければならない、上手にピアノを弾かなければならない」

「姉のように明るく、後輩からも慕われる存在にならなければならない」

本当の自分を探すことなく自分の思い込みでルールを決め、姉が卒業した後も役割を演じ続ける中学校時代を過ごしました。

「良い子」でいなければならなかった思春期以降

その後、優秀だった兄は進学校へ入学したものの、周りと自分のレベルに打ちのめされ、高校生活半ばで引きこもりに。

姉は高校へ入学し周りの環境に触発されたのか、停学や家出を繰り返し高校は1年で退学。

父はその時期に単身赴任中であり、母はその時期1人で毎日毎日本当にツラそうでした。

心が病み、ある日母がいなくなってしまうのではないか、と当時中学生だった私も毎日不安で仕方ない日々を送っていました。

私にできることはないかと思い、母を励ますものの励ましだけじゃこの状況は収束しないこともわかっていました。

母には、「あなただけは真っすぐに育って、お願いだから」と言われ、それが母の願いなら、と「私だけは良い子でいなければならない」。

家での自分の役割は、¨良い子でいること¨に決めたのです。

「良い子でいなければ、母はもっと悲しむ」「良い子でいなければ、母はいなくなってしまうかもしれない」

母がいなくなってしまうくらいなら、自分が良い子でいるぐらいなんてことなかったです。

しかし今振り返れば、言いたいことも言えずに無理やり明るく頑張っていたんだと思います。

思い返しては「無理しないでいいよ。ありのままの自分で大丈夫だよ。」と、当時の自分を抱きしめてあげたい気持ちになります。

学校でも家でもそれぞれ別の顔で役割を演じ続けた私は、当に本来の自分を忘れてしまったどころか、ありのままの自分が何かすらもわからなくなっていました。

比較されて育った人間の心理的影響

比較されて育つと、心理的にはどんな影響を受けるのでしょうか。

そして、それは大人になっても残るものなのでしょうか。

ここでも、私自身の現在の心境を交えながら解説していきます。

比較されるほどに決めつけや思い込みが強くなる

中学校時代からは約20年ほど経つ今ですが、相変わらず姉フィルターは存在します。

姉を知る姉の友人とたまたまバッタリ会った時に、「身振り手振りとか、笑い方も似てるね~!」などと言われると、「姉の友人だから姉のように振る舞わなければ」と無意識な思い込みで言動にあらわれてしまうのです。

きっと、姉の友人なら姉の人間性を知っているため、ここでも「姉と似て、明るい雰囲気を持つ妹だと思っているに違いない」という、相手への勝手な決めつけが思い込みを強くしているのだと考えます。

決めつけや思い込みが強い人は、自己肯定感が低い人の特徴にも共通することです。

「相手はこんな自分を求めているであろう」と決めつけ思い込んでしまうと、求められている自分を演じるようになります。

自分を演じてしまったら、本来の自分はどこへ行ってしまうのでしょうか。

このようにして、比較されながら育った人間は、本来の自分を見失い、自分ではない自分のまま人生を歩むことになるのです。

引用:公式X

承認欲求が強い

誰かに褒めてもらいたい!認めてもらいたい!という承認欲求は、比較されながら育つことで育まれる欲求でもあります。

特に幼少期に親から兄弟間で比較されていたり、他の子と比較された上で褒められたり叱られたりすると、「誰かに勝たなければ褒めてもらえないんだ」と考えるようになります。

それが続くと、一方的に友達をライバル視したり嫉妬心に苛まれるように。

そのような人が、誰かと比べずに自分だけを見て欲しい!という思考になるのは当然です。

その結果、大人になっても承認欲求が強い人間へと成長し、SNSのコメントやイイねの数、動画配信の閲覧数などに執着したり関わる人々から疎まれたりと、精神的にも良くない影響を受けます。

比較されて育った人間は自己肯定感を高めることが最善策

比較されて育った人間は、自己評価も低く自己否定が強い特徴があります。

総じて、自己肯定感が低いことが共通している問題と見て明らかでしょう。

自己肯定感を高めるために、自分の過去を自分で振り返り分析することが方法の一つとして挙げられます。

過去を振り返った時に初めて、「自分は比較されて育ったんだ」と気が付く人もいるかもしれません。

問題を解決するにはまず原因を知ることです。

そこから対策を講じることができ、良い方向へ進めるようになります。

そして、自分と他人を比較することを辞めればありのままの自分を見つけられ、「このままの自分で大丈夫」と思えるようになるでしょう。

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この記事を書いた人

2児の母であり、フリーランスのwebライター×ブロガー。

自身の自己肯定感の低さが育児に影響を与えている可能性があると知り、
”自己肯定感とは”をテーマに、専門書籍や関連資格の勉強にのめり込む日々。

日常生活や全ての人間関係に深く関わる自己肯定感について、情報を発信中。
同じように自身の自己肯定感の低さに悩む人、人間関係にストレスを抱えている人、
理由はわからないけれど、毎日何かしらの生きづらさを感じている人の役に立てれば幸いです。

好きな物:k-popと餅菓子
保有資格:自己肯定感アップカウンセラー

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